ピアス・イヤリングの歴史と日本・ピアスのルーツは魔よけ!歴史は古代ギリシャローマ時代にまで遡る!

落とす心配はいらないしスポーツなどでもつけられ種類も豊富ということで、現在はピアスの人気がイヤリングを上回っていると言われます。歴史的にもピアスのルーツは古く、ギリシャ・ローマ時代にまで遡れるほどです。その点イヤリングは、17世紀にねじ式やクリップ式金具の発明によって作られたので、比較的新しいアイテムです。このピアスとイヤリングの歴史について考えましょう。

1.イヤリング・ピアスとは?

♦ピアスとは?

ピアスは耳たぶに針が通るぐらいの穴をあけ、針を突き通して留める耳飾りです。釣り針形に曲げた針を穴にひっかけて使用するものと、穴に通した針を耳たぶの裏で留め具で留めるものとがあります。ピアスの一般的素材は金、銀、プラチナ、宝石、ビーズなどです。

♦イヤリングとは?

耳に取り付けて耳元を飾る装身具のことをいいます。もともと耳とリングで耳に付ける輪ということ意味ですから、ピアスに近いものでした。現在イヤリングと呼ばれているものはクリップによって耳に引っ掛けるクリップ式とねじ留め式、また磁石で装着するマグネット式などがあります。

耳飾りの形は、大きく分けると3種類にあります。耳にぴったりと固定する形のものはボタンイヤリング、ネジやクリップなどを用いて耳たぶに固定します。 また、輪の形をしたものをフープイヤリング。ビーズを垂らしたり細いチェーンを垂らしたりするイヤリングはドロップ・イヤリングと呼ばれています。

イヤリングの素材は多様で、金属、プラスチック、ガラス、貴石、ビーズ、木などがあります。

2. ピアスの歴史

♦ピアスは悪魔除けにつけられた!

耳に穴を空ける「ピアス」は、数千年もの歴史があると言われています。「旧約聖書」や「ギリシア神話」にもイヤリングの記述が見られますし、古代エジプトでは壁画の中にもピアスが見られます。

鉄製や、金銀細工の垂れ下がりタイプのものも、発掘品の中にみられます。元々ピアスの発祥は、邪悪な存在から身を守るためのものとして使われてきました。その根拠は国によって違いますが、古代では、悪魔は穴が開いている所から進入すると恐れられていました。耳は穴が開いていますから、そこを防御しなければなりません。悪魔は光物に弱いと言われることから、金属製品を身体につけていれば悪魔が近づきにくいと考えたようでした。

♦ペルシア時代の壁画には兵士たちがピアスをしている姿が刻まれている!

古代ギリシアでも魔よけとして用いましたが、その素材は宝石やガラス製のペンダント型のものもありました。男女問わず装着し、片耳にだけつけることも多く見られました。

古代ペルシアの遺跡からは、ピアスをした男性の遺骨が発見されていますし、現存するペルシア時代の壁画には男性兵士たちが、耳元にピアスをしている姿が刻まれています。古代ローマでは、宝石の入ったペンダント型が流行りました。ビザンチンでも、おおむね魔よけのピアスをつける習慣が受け継がれていました。

実用的な目的もありました。兵士たちは戦死した時の身元を確認するためピアスをつけていましたし、船乗りたちは万一海難事故などで命を落とした場合の弔いの費用にしてもらおうとピアスをつける風習もあったと言われています。

インドでは宗教的な儀式の1つとしてピアスの穴を開けるという風習があり、現在でも5歳になる少年にピアス穴を開けることがあるようです。

♦17世紀留め式イヤリングの地位がビアスにとって替わる!

中世に入るとベールをかぶる習慣が普及し、ピアスは衰退しました。16世紀バロック時代に復活し男性にも広く愛好されたものの、17世紀になるとクリップ式やネジ留め式のものが考案されたため、ピアスはイヤリングにとって替わられることになります。耳を傷つけることがないイヤリングの方が手軽なので、一般女性がそちらの方へ流れていきました。

ピアス人気が復活するには、1960年代ヒッピーの登場までかかります。1980年代になると、パンクロックアーティストがこぞってピアスをしていたことから、男性の間でもピアスをするという文化が確立していきました。

3.イヤリングの歴史

イヤリングの歴史はピアスよりずっと後になり、17世紀にねじ留め式やクリップ式のものが登場してからとなります。耳に穴をあけないため手軽につけることができるので、アメリカの中産階級の女性に愛用され、一時はイヤリングといえばネジ式やバネ式のものが主流でした。

18世紀は真珠のイヤリングなども人気を博し、18世紀末にはダイヤモンドに加えてサファイアやエメラルド、19世紀初頭にはカメオなども登場しました。

4.日本のイヤリング・ピアスの歴史

日本において、耳飾り(ピアス)が登場するのは縄文時代です。石を研磨して、その端に切り込みを入れた作りになっていて、環の端を耳たぶにあけた穴に入れて身に着けていました。

材質は縄文中期は骨製のもの、縄文後期には土製の耳飾りが中心となっています。

複雑な透かしす彫りで飾られたものをつけている土偶も出土しています。これを見ていると、日本にも小児期に耳たぶに穴があける儀礼の存在はあったと推測することができます。

弥生時代に入るとピアスと思われるものは、確認できなくなります。その後、古墳時代中期には、朝鮮半島から入ってきたと思われる垂(たれ)飾りを鎖でつけたものが出土しています。埴輪の耳にも、このタイプの耳飾りを装着したものが出土しています。ところが、奈良時代以後は耳飾りをつけている出土は、まったく見当たらなくなります。

アクセサリー全般に言えることですが、日本においては装身具の出土は近代になるまで、まったく見られないのが現状です。

明治期、洋装とともにピアスやイヤリングも外国から紹介されたでしょうが、普及には程遠いものでした。ピアスやイヤリングが私達の生活のなかに溶け込むのは、戦後になってからになります。

戦後、洋装の普及とともに、高度経済成長期からバブル時代がやってきて、豪華なイヤリングが市販されました。1990年代からは、イヤリングからピアスの時代になってきます。地金部分も少ないので安価で、活動しても紛失しにくいところが人気の秘訣なのでしょう。

まとめ

ピアスの歴史は古く、旧約聖書」や「ギリシア神話」にもイヤリングの記述がありましたし、ギリシャ・ローマ時代にまでさかのぼれるのは驚きですね。

が、その意図は悪魔よけでした。ところが1900年代初頭、ネジやクリップ式のイヤリングが登場したことにより、ピアス人気は凋落してしまいます。

ピアスが再度見直されたのは1960年代のヒッピーや80年代のパンクロッカーたちのおかげでした。

イヤリングは穴を開けなくて装着できるのがメリット!ただ欠点は、バネ式で耳が痛くなることと紛失しやすいこと。一方、ピアスは小さいので軽く価格も安価で種類も多く、何より落としにくいことがメリット。ただ、穴あけを不衛生な環境で行うと、腫れたり跡が残ったりするケースもあるのでご注意を!

顔の印象を華やかにするピアスとイヤリング!あなたに合うタイプを選んで、ピアス・イヤリングライフを楽しんでくださいね。

ネックレス・ペンダントの歴史と日本 40,000年前の石器時代に誕生していたネックレス・ペンダント!

胸元を飾るネックレスやペンダントですが、あなたはどのように活用していますか。

ネックレスはアクセサリーのなかでも一番長い歴史を持つといわれ、その出発はやはり魔よけとか呪術的な意味にあるようです。そんな意味を知っていくと、プレゼントなども自信をもって贈れますよね。ネックレス・ペンダントの歴史と意味をひもといてみましょう。

1.ネックレスとは?

ネックレスとは、本来は「ネックレイス」。すなわち「首に巻くひも」を意味していると言われます。ペンダントもネックレスの一部という説もありますが、一般的には首に掛ける部分がそのまま装飾になるものをネックレス、先端にペンダントトップという装飾品が付けられているものをペンダントと言っています。

ネックレスの素材としては真珠や金属、天然石、ガラス玉などですが、広義にはひもで編んだもの、皮で編んだもの、あるいは樹脂でつくられたフェイク玉を連結したものもネックレスと呼ばれています。また、肩凝り解消用の磁器ネックレスや開運用のパワーストーンなどもネックレスの部類です。

♦ペンダントトップとも呼ばれる。

ペンダントもラテン語から発祥しフランス語から英語に転化され、最終的に現代英語の「pendant」となったのではないかと言われています。首にぶらさげるようにして用いる装身具や、お守りなどをぶら下げたものなどをいいます。

一般には、先についているペンダントトップが取り外し可能なものをネックレス、取りはずせないものをペンダントと区別していますが、その違いは微妙なところです。便宜的にペンダントトップが大きくて印象が強いものを「ペンダント」。チェーンや革ひもだけのものや、ペンダントトップが簡素なものを「ネックレス」と分類してよさそうです。

2.ネックレスの歴史

ここではペンダントはネックレスに含まれるということで話を進めていくわけですが、これには理由があります。というのは、出土するネックレスには、ペンダントトップがひもにぶら下がっているだけのものも多いからです。ネックレスの歴史は古く、40,000年前の石器時代には誕生していたと言われます。当時はもっぱら貝などを装飾品として用いてましたが、後に石や獣の骨や歯などに置き換わってゆきます。そこで出土したネックレスには、貝殻や動物の牙や骨、角などを植物で作った縄のようなものに通していった原初的なものでした。これがネックレスの始まりだと言われています。

♦ローマ時代には貴金属と宝石をはめ込んだネックレスを着けていた!

金属が発見されると、金、銀などの貴金属が多用されるようになっていきました。古代エジプト時代には、王族たちが宝石のついたネックレスを身につけていましたし、ローマ時代には、貴族の女性たちが金のフレームに色鮮やかな宝石をはめ込んだネックレスで身を飾っていました。

古代の人がネックレスをつける意味は「呪術的・魔よけ的」な目的や、敵や病気から身を守ったり、豊作を願ったりする道具として身に着けていたのです。また、身分を証明するための免許証みたいなものとしても使われたりしました。

♦18世紀にはジュエリーとしてヨーロッパ中拡拡散!

時代が下るに従って、その役割は魔よけから装飾的意味合いに変わります。18世紀頃、フランスの宝石研磨やカット技術が急速に発達したことによって、ネックレスはジュエリーとしてヨーロッパ中に広まっていきます。その頃のヨーロッパの上流階級の服装は胸元が大きく開いたドレスが多かったので、ネックレスなどがもてはやされました。時の権力者が富と権力の象徴として身につけていました。それらはごく一部の階層だけでしたが、産業革命により、ネックレスも量産されるようになると一般に波及してくるようになりました。

3.日本の首飾り(ネックレス)の歴史

首飾りは縄文時代から用いられたと見られており、勾玉を連ねた首飾りのほか、動物の牙や骨、また石や貝などが素材として用いられています。多数の形状の装身具が各地の墳墓から出土されています。

縄文時代の遺跡から出土している動物の牙やヒスイを用いた装飾品の用途は正確には判っていませんが、魔よけや呪術的な意味合いが強いのでしょう。特に、動物の牙を身に着ける行為に関しては狩猟の成功を祈願したりしたのではないかと言われています。

♦古墳時代には「ひすい」「メノウ」「水晶」「碧玉」などの首飾りが出土

弥生時代に入ると、管状になった玉などを数珠のようにして繋げたものが多く出土するようになります。古墳時代には権力者のシンボルとして祭祀などのためか、玉をつないだネックレスを一重巻きにしたり二重巻きにして装着した埴輪などが出土しています。

古墳時代には「ひすい」「メノウ」「水晶」「碧玉(へきぎょく)」などの宝石を使った首飾りを、男女を問わず身につけていたことが、埴輪によって証明されています。古墳から発見された宝石の形が勾玉だったことや、聖徳太子も身につけていたとされる勾玉は、権力の象徴として使われたり、お守りの代わりとして首輪として胸に飾ったり、ペンダントとして吊るしたりしたのでしょう。

♦勾玉(まがたま)の流行

勾玉は、古墳で発見された宝石が勾玉の形をしていたことや、聖徳太子が身に着けていたとされていることから権力の象徴として使われていたことが推測できます。

ヒスイは動物の犬歯を模した勾玉として加工されたものが多く、お守りの代わりとして首輪にして胸に飾ったりペンダントとして吊るしたりしたのでしょう。こうした勾玉の文化は弥生時代に至るまで広く見られ、古墳時代には全盛を迎えています。

8世紀頃の勾玉については、主に呪具として日本で加工され、北海道から朝鮮半島など様々な地域で出土しているので、装飾品が交易品となっていたことを証明しているといえるでしょう。

♦奈良~明治時代に至るまでの約1100年の空白

しかし、奈良時代以は姿を消し、降明治時代なるまでの約1100年間、こうした装身具は見られません。

奈良時代や飛鳥時代には、えりの詰まった服装が主流になったことから首飾りを身につけないようになりました。時代は下り、明治時代になってやっと海外からの文化移入という形でまた復活を果たした装飾品でしたが、実際には昭和に入り、戦後の経済成長によってようやくネックレスやペンダントが、私たち現代人のおしゃれアイテムとなり今日に至っています。

まとめ

ネックレスの歴史は古く、40,000年前の石器時代には誕生していました。その時は貝などを使用して首にかけていました。それが時代が下がるに従って、石や獣の骨や歯などに置き換わり、エジプト、ローマ時代には宝石なども身に付けるようになっていきました。

ところが日本において縄文・弥生時代には、ひすいの勾玉などの出土があったものの、奈良時代以降、明治に至るまでの約1100年間、装身具は忽然と姿を消してしまっている不思議! 私達が日頃つけているネックレスやペンダントは、ようやく昭和の時代に至って普及してきたのです。ネックレスは私達日本人には、まだ異次元のアクサリーかもしれませんね。

ネクタイ普及の歴史とともに歩んだタイタックとネクタイピン!

ネクタイピンやタイタックはつけていらっしゃいますか? 最近はつけない人も増えてきたのはネクタイ裏に小剣通しがついたので不必要になったとかいう声も聞えます。ともすると、ブラブラと乱れがちになるネクタイを固定させるのに便利なツールです。当たり前につけているネクタイピンやタイタックですが、その発祥の地はどこなのでしょうか。ネクタイの歴史と絡めて探っていきましょう。

1.ネクタイピン・タイタックとは?

♦ネクタイピンとは

ネクタイピンという言葉は、和製語です。pinは本来「針」とかの意味。ネクタイ留めを表す英語は、タイクラプスといいます。このネクタイ留めですが、飾りではなくちゃんと実用的な役割があります。ブラブラしてしまうネクタイを固定する役割、また乱れなどの防止です。それとアクセサリーの役割で、スーツスタイルのアクセントにもなり、おしゃれ度をアップしてくれます。素材は金、銀、洋白、真鍮などがあります。

♦タイタック

タイタックとは鋲(びよう)がついているネクタイピンで、ネクタイとワイシャツに刺し裏でネジなどで留める方式のネクタイ止めのことを差します。付いているチェーンをワイシャツのボタンに取り付けると、ネクタイが固定されます。現在は冠婚葬祭などで使うくらいで余り使われていませんが、ネクタイを持ち上げて立体的に見せてくれますし、ワンポイントのアクセサリーにもなります。素材は金、銀、洋白、真鍮などの金属、1粒真珠とかダイヤなど宝石だけのタイタックもあります。

2.ネクタイとネクタイピン・タイタックの歴史

ネクタイピンとタイタックの歴史は、ネクタイの成り立ちと大いに関係がありますので、一緒にからめて見ていきましょう。

♦ルイ14世が取り入れたネクタイはイタリア・イギリスへと伝播!

17世紀半ばのフランス、当時の王はルイ14世でした。同盟国オストリアのクロアチア兵が首に巻いていた布を見ていたルイ14世が関心を持ち、宮廷にファッションとして取り入れたことから、このスカーフは広まることになります。これがネクタイの発祥と言われています。このフランスで生まれた流行はその後イタリアに伝播し、英国の社交界へと渡っていきアスコットタイ式へと変わっていきました。

♦1850年代ダブルカラー式シャツの誕生とともにネクタイ事情が変わる!

そして現代のような結び下げ式ネクタイに変わっていったのは、1850年代にダブルカラー(現代の折りえり)式のシャツが誕生したことと関係があります。その頃のスーツスタイルは上着のボタン位置が非常に高く、ネクタイは結び目以外の見える部分はわずかでした。そのため、1860年は「ボウタイ(蝶ネクタイ)」の原形である結び方が工夫されるようになりました。1900年代に入り少しずつ装いも現代的になってきますと、現代の大剣と小剣がある「フォア・イン・ハンド」式のネクタイとして確立します。1920年代頃と言われています。

♦タイタックについては、1850年以前に普及していた!

こうしたネクタイの歴史は有名ですが、ネクタイピンの歴史はほとんど文献も資料もあのません。ただタイタックについては、1850年以前には普及していたと言われます。先端の針になったタイタック…当時はこの形が主流でした。ちょうどダブルカラー式のシャツが生まれた頃と一致しますね。このダブルカラーによって、今まで蝶ネクタイのように結んでいた結び方が移行していく段階で、前に垂らしたネクタイが邪魔にならないような合理的に留めるピンが工夫されていったのでしょう。

♦1920年頃にはさむタイプのタイクリップが開発される!

1920年頃には、はさむタイプのタイバーと呼ばれる形状が普及しました。これがネクタイとワイシャツを一緒に挟み込む方式の「タイクリップ」いわゆる現代のネクタイピンだったと想定できるでしょう。ただ、かつては小剣・小剣通し、芯地などがなく薄いため乱れたりするのでその予防にネクタイ留めが作られましたが、小剣通しがついたり生地も厚くなって、ネクタイピンの実用性は薄くなってきています。

3.日本におけるネクタイピンとタイタックの歴史!

日本にネクタイが初めて伝わったのは19世紀半ば。ジョン万次郎が帰国の際に持ち帰ったネクタイが起源と言われています。その後、明治維新があり文明開化があり断髪令も出されましたが、なかなか進まず一般男性への普及は、明治20年代頃までかかりました。

洋装にしても同じことで政府高官や富裕層は積極的に洋服を着用しましたが、一般男性に洋服は普及しませんでした。詰えりの洋服が軍人の軍服、警官・郵便配達夫の制服、学生服として採用されたことで、洋服姿は街に目に付くようにはなりました。

ここでも背広でなく詰えりということでネクタイは着用されませんし、高官たちの装いも三つぞろえ(スリーピース)の背広が通勤着として普及したものの、ネクタイは蝶ネクタイタイプだったので、ネクタイピンは必要ありませんでした。ネクタイピン自体、まだ発明されていませんでした。

明治30年代には、洋行帰りの男性の間では中折れ帽、ハイカラーのシャツにスーツというスタイルが流行し、大正時代に入ると洋服の普及が一層進みました。大正末期にはステッキに、ロイド眼鏡、青いコンチネンタルスーツに中折れ帽の紳士の姿が見られるようになりました。しかし、まだえりは中折れでなく、ネクタイも蝶ネクタイスタイルでタイタックも活躍する環境にありませんでした。

♦昭和は戦争続きで国民服全盛時期!

昭和に入り、戦争が始まるとファッションに対する制限が加えられます。1940(昭和15)年「国民服令」で、一般男性はカーキ色の国民服が定められました。空襲が本格化すると身動きの取りやすい国民服は一挙に広まり、男性のほとんどが国民服を着るようになりました。

そして、終戦。戦後の混乱はしばらく続きましたが、戦後若者を中心に、多種多彩なファッションスタイルが生まれました。大人たちの服装としては、スーツが一般化しました。当初は、誰もがグレーのスーツを着ていましたが、その後スーツスタイルは徐々に洗練されていき、全ての場所で着用可能な大衆服になったわけです。こうした背景からネクタイと、それに伴うネクタイピンは普及していきました。

結局、日本でのネクタイピンは戦後になるまで普及しなかったということになります。

まとめ

タイタックは1850年前後、ネクタイピンは1920年以降の歴史でした。現在のようなネクタイ自体が1920年頃発案されたというのですから、そんなに古いものではありません。それでも、そろそろ100年近く経っているのですね。

現在では、ネクタイはビジネスにおける正装であり欠かせないアイテムでしょう。ネクタイピンは、おしゃれ機能も実用的機能も備えた万能アイテムです。昨今はつけない男性も多いようですが、種類も多彩でいろいろな楽しみ方ができますので、あなたも取り入れてみてはいかがでしょうか。

ウォレットチェーンの歴史と流行・発祥はトラッカーウォレットとバイカーウォレットと2説あり!

1.ウォレットチェーンとは?

ウォレットは財布のこと。財布に付けるチェーンで、ベルトやベルトループにつなげておきます。本来は、財布を防犯用や紛失用と発案されました。チェーンと言っても金属とは限らず、レザーメッシュ、ミサンガ、本皮などをベルトのように使用したウォレットチェーンもあります。勿論、数として多く、人気のアイテムは金属製のチェーンでしょう。素材は銀製、真鍮製に古美メッキをしたものとかデザインもいろいろな種類があります。

2.ウォレットチェーンの歴史

♦トラックドライバーが始めたという説

ウォーレットチェーンの歴史は、それ程古いものではなさそうです。というのも、諸説あってよく分かっていないのが現状なのです。その発端になったのは、トラック運転手という説があります。トラッカーウォレットという言葉がありますが、これはトラック運転手がよく使っていた財布という意味です。

トラックの運転手は長距離運転をするので、お尻に財布を入れておくと邪魔ですから、ポケットから抜いて運転します。ところが、トラックから降りる時に財布を車内に置き忘れることを防止するために、財布とベルトをチェーンでつなぎ忘れにくくした事がウォレットチェーンの始まりだという説です。

♦1950年頃から始まったバイカーサブカルチャーから出現という説

もう一説あります。バイク乗りは簡単に財布が取り出せるように財布をポケットに入れていたのですが、ともすると落としたりします。その落下防止に、チェーンをつけたのが始まりという説です。ライダーたちは長財布を愛用していたと言われていますが、なぜ長財布なのかはっきりしたことは不明です。

いづれにしても、アメリカンバイクを乗り回し、ブランド物のライダースジャケットにジーンズ、エンジニアブーツといったいでたちでウォレットチェーン付き財布などの愛用している「バイカーファッション」といわれるスタイルを好むライダーたちの動向が、50年代のバイカーサブカルチャーブームの発端になっていたことは否めないでしょう。

♦70年代のパンクブームとあいまってファッショントレンドになった!

そうした背景から出現したウォレットチェーン。そうしたバイカーサブカルチャーは少しづつ浸透していき、70年代のパンクブームとあいまってファッションのトレンドになり、ウァレットチェーンは、男性のファッションのアクセント・アクセサリーとして火がつきました。特に、パンクやハードロック歌手などはこぞってファッションアイテムとして、ステージ衣装などに採用しましたので、それに憧れてカッコイイアイテムとして、ウォレットチェーンも一般に普及していったというわけです。

3.鎖・チェーンの歴史

ウォレットチェーンといえば、財布とベルトをつなぐものとしてチェーンの存在があります。チェーンの存在の耐久性が本質的なのであって、あとは金具の問題だけでしょう。その中心である鎖の存在なのですが、ではこの鎖の起源はいつ頃なのでしょうか。

♦紀元前ピレウスの港の入口に鎖を張り外敵進入を防護

チェーンの歴史は古く、紀元前から多くの港で使用されてきました。防護壁を持つ港は、入口に鎖を張って外敵が入ってくることを拒みました。ギリシャ、ローマ時代にアテネの外港として築かれたピレウスの港が、鎖を使った初めと言われています。

また紀元前225年頃には、井戸から水のバケツを引き上げるためにチェーンを使用しました。この初期のチェーンは、金属リングを連結して構成されていたと言われます。

♦ヴァイキングが初めて鎖を錨(いかり)用に使った!

8世紀から12世紀にかけてスカンジナビア半島に住んでいたヴァイキングは 航海術にも開けていて、青銅器・鉄器も作ることができたと言われています。彼らが初めて鎖を錨(いかり)に用いたのですが、その錨がデンマークの島で発見されています。

1800年代になると、フランス人が自転車に使用するチェーンの特許を取得し、その鉄鋼のチェーンは自転車や初期の車の後輪駆動として使用されたと言われます。18世紀の始めになると、世界は大航海時代に入り、船舶の大型化と共にアンカーチェーンも縄に替わり、錨チェーンとしての役割に変わりました。こうした背景から、鎖は大量生産とともにコストダウンも可能になり装身具やウォレットチェーン、めがねチェーンなどにも活用されていきます。

4.皮革の歴史

ウオレットチェーンは金座チェーンが多いですが、皮革もひも状にして使われたり編んだりして使用されます。皮革の歴史も、少しだけ紹介しましょう。

♦起源は50万年前!

皮革の起源は50万年前にさかのぼります。驚くほど古い歴史を持った素材と言っていいでしょう。50万年前の氷河期といえば寒く悪い条件の中での暮らしでしたので、寒さや風などから身を守るために動物の皮を使用しました。古代人は狩りをして動物の肉を食べていましたが、食べた後は皮が残ります。それを利用して、寒さ塞ぎのコートや簡単なポンチョのようなものを身にまとっていました。

ところが、皮は短い間に腐食してくるので防腐加工が必要です。古代人は紀元前8000年頃、皮を煙でいぶす方法で腐敗することを防ぐ技術をあみだしました。紀元前3000年頃になると、特定の樹の皮に含まれる「タンニン」という成分が、革なめしに良いことを発見しましたし、アメリカインディアンは、灰汁に皮を漬けてなめす技法を発見しています。

♦古代ギリシアでは革加工の施設を設置、革なめし工も養成!

また エジプト人は馬具や盾、サンダル、バッグなどの様々な道具を革をなめして作り、革で貿易をしていました。古代ギリシアでは革加工の施設を設置、革なめし工も養成し技術を習得すると独立させ、さまざまな樹皮からタンニンを取りなめし作業を行わせて、いろいろなタイプの靴を作っていました。このように皮革は古代においても、腐敗止めの技法を得て衣類から敷物、甲冑、馬具、イスやベッドまでも多方面に渡る生活用品に活用されてきました。

♦現在も踏襲されている1858年の「クロムなめし」技術!

中世になると、アラブ人が革職人として突出してきて、ヤギ皮の製造技術を編み出し「モロッコ革」を作りました。これは、今でも評価が高く有名です。中世のイギリスではギルドが革取り引きを管理し、さまざまな日常製品が革から作られました。1760年英国で「タンニンエキス」を使う方法が考案され、それから19世紀の後期までその製造方法は変化なく続いていましたが、産業革命によって「合成なめし剤」が考案され、1858年には薬品によるなめし方法「クロムなめし」が発見されました。この方法は現在でも踏襲されています。

こうした革の歴史の中でウォレットチェーンにも革が使われるようになりました。革の独特の質感は味がありますし、「ジャラジャラ音がするのは嫌だ」という人にも適していますね。

まとめ

ウォレットチェーンの発祥は、トラッカーウォレットとバイカーウォレットという二説になり、どちらが先なのか諸説あってよく分かりません。いずれにしても、落下防止や紛失防止などの実用的根拠から製品化されたアイテムです。

歴史は、そう古くもなく、戦後1950年代頃からのバイカーサブカルチャーから浸透していき、70年代のパンクブームなどと合体して火がついていきました。現在でもファッション性の高いものとして人気があるウォレットチェーン!

ただ価格は余り安いものではなく、ある程度上質なものを付けた方がサビなども出ません。また、コスパ的にも結局はお得でしょう。余り何本も巻きすぎ、ジャラジャラと音を立てるウォレットチェーンは、女性には不人気なのでご用心を!