誰でもが持っている腕時計ですが、その前身は持ち歩き用に作られた懐中時計でした。しかし、これは時刻を確認するためには取り出して確認しなければなりませんし、金属製の蓋がついているのでそれを開けなけばなりません。なにか作業している場合に時刻を知りたい場合は、作業を中断する必要がありました。
そうした事情から開発されたのが、腕時計というわけです。腕に巻くことで時刻を確認することは一瞬で済み、何より両手が自由になるというメリットがあります。その腕時計ですが、発祥はいつでどう進化していったのでしょうか。
1.腕時計とは?
腕に巻く時計のことです。種類としては手巻き式、自動巻き、太陽光発電時計、電波時計というものもあります。
手巻き式腕時計はゼンマイ式ともいい、竜頭でゼンマイを巻き上げ針を進めるというものです。
自動巻きというのは、時計内部にある半円形のローターが回転しゼンマイを巻き上げていくことで動く時計を指します。
ソーラー時計は太陽電池で時計を動かすために必要な電力を作り出しています。
電波時計とは標準電波の送信局から送信される原子時計によりデジタル信号を受信し、自動的に時刻を合わせる時計のことです。
昔の腕時計の素材は金属が多かったですが、昨今はセラミックやカーボン、シリコンなどの新素材も使われています。
2.腕時計の歴史
♦腕時計の誕生
腕時計の発祥はいつかといえば1790年。スイスはジュネーブのジャケ・ドロー・アンド・ルショーという時計商がカタログに掲載したのがはじまりだと言われています。
彼は時計商でありオートマタ(ゼンマイ式カラクリ人形)職人でもありました。
現存するものに注目してみると、1806年にパリの宝石商によって作られた「時計を組み込んだブレスレット」が残っているそうです。また、1810年に時計細工師のブレゲがナポリの王妃から注文を受けて作ったといわれる卵型の時計も残っているようです。
しかし、こうした初期の腕時計は王族や富豪などから注文を受けた一点物で、宝飾品としての意味合いが強いもので一般に普及したものはありませんでした。
♦戦争によって実用的な腕時計を必要とされた!
時刻をきちんと確認するための実用的なツールとして腕時計が製品化されたのは、戦争がキッカケです。
そのキッカケは、砲撃を実行する兵士たちの工夫でした。当時、懐中時計を片手に砲撃するタイミングを計っていた兵士たちでしたが、手首に懐中時計を結びつけて使うようになりました。
何とかこれを腕に巻くことができないかという軍の要請で、腕時計の実用化が始まったと言われています。1879年には当時のドイツ皇帝が、ジラール・ペルゴ社に2000本の腕時計を製作依頼したという記録が残っています。
この時計は懐中時計サイズで、腕に装着するためのバンドと保護するための金属製のガードがついているという体裁でした。腕時計とはいえ、ほぼ懐中時計をベースとしているものと推察できますが、とりあえず、時刻を計測できるという実用性を備え、かつ量産した初めての腕時計でした。
この時計はジラールペルゴ社に現物として残されていると言われています。同社はジュネーヴで創立された時計メーカーでしたが、史上初めて腕時計の量産を行ったメーカーとして歴史に残っています。同社はまた1861年に来日し、横浜に商館を置き懐中時計の販売をした最初の時計メーカとしても記録に残っています。
♦カルティエ紳士時計「サントス」がスポーツ・ウォッチの古典となる!
オメガ社は世界に先駆けて1900年に腕時計を商品化しましたが、女性用懐中時計の竜頭の部分を横に付け替えて革のベルトに固定しただけといったものでした。
これはデザイン的にウケなかったようでこのときはまだ懐中時計が世の中の主流でした。
腕時計の中で最初にヒットしたものはフランスのカルティエから発売された紳士時計でした。1911年に「サントス」という腕時計が発売されています。
「サントス」は当時珍しかった角型でした。「飛行船の操縦しているときでも使いやすい腕時計を」という依頼をもとに作られたこの腕時計は、形状は角型で大きさも小型でスポーティでした。
のちにこうしたデザイン面がパリの社交界の目にとまり、市販されるに至ったというわけです。「サントス」は現代でも評価は高く、カルティエの代表製品として売られています。
♦第一次世界大戦は男性用腕時計は懐中時計から完全移行させた!
「ブライトリング社」は、飛行機のパイロット用にストップウォッチ機能のついた世界初のクロノグラフ腕時計を1915年に開発しました。
飛行機のパイロット用や砲撃をする兵士用に開発された腕時計ですが第一次世界大戦後は次第にデザインが洗練され一般のにもどんどん普及してきます。
そうした流れの中で、懐中時計メーカーの多くが腕時計へと転換していき、開発競争も激化していました。そんな中、1926年に画期的な腕時計が登場します。スイスの時計メーカーである「フォルティス」が自動巻き腕時計を発表します。これは世界初の機能でした。
また、ロレックスも、イギリスオイスター社の防水式「オイスターケース」を腕時計に搭載しました。防水機能のついた腕時計は発売当時はほとんど認知されておらず、あまり売れませんでしたが、腕時計をしたままドーバー海峡を泳いで渡るという企画が成功し、認知度が一躍高まったようです。
♦第二次大戦後腕時計はどんどん進化した!
第二次世界大戦が起こると腕時計の機能はさらに進化していきます。飛行機や潜水艦の中といった日常生活とは異なる環境でも使えるように防水性や気密性が強化されたり、手袋をした状態でも調整ができるよう大型の竜頭が採用されたりといった具合です。
第二次世界大戦後にも腕時計の進化は止まりません。
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戦後すぐの1955年ロレックスは、日付が午前0時に自動的に変わる「デイトジャスト」を発売。デイトジャストブランドは現在でも販売されています。
ゼロからわかる[オメガ スピードマスター]SPEEDMASTER完全保存版
1969年にオメガの「スピードマスター」が月面着陸で使用され、世界で初めて月で使用された腕時計となりました。
翌年の1970年にはアメリカ企業ハミルトンが、「パルサー」を発表します。これは世界初のデジタル式の腕時計でした。
ここからはデジタルとクォーツの時代となっていきます。こうして戦後は、便利で実用性のある機能搭載の腕時計が、各社から次々に発売されました。
♦20世紀の腕時計事情!
こうしたなか、スイス、イギリス、ドイツなど主要な腕時計生産国のメーカーは、大量生産のなかで立ち位置が変わっていきます。イギリスのとあるメーカーは生産体制が時代に合わず衰退、市場から脱落。
ドイツメーカーも、低価格帯の製品を主力とせざるを得ませんでした。
アメリカのメーカーも1960年代以降には高級品メーカーは衰退していき、大衆向けブランドのみに存続していく事態となりました。腕時計の世界は量産の時代に突入していったのです。
1990年になると、ドイツで創業したユンハンスが世界初の電波式腕時計「メガ」を発表しました。
2011年シチズンが世界初の衛星電波式腕時計『エコ・ドライブ サテライトウエーブ』を発表。
その後、腕時計は、クロノグラフ(モータースポーツ向け)やダイバーズウオッチ(マリンスポーツ向け)といったものが開発され、丸型だけでなく薄型や角型のファッションナブルウオッチも発売されるようになりました。
近年だと米Apple社が開発した「アップルウォッチ」は最先端の技術が内蔵されていて、時計機能だけでなく電話番号登録機能、ストップウオッチ機能、ついでに音楽も聴けてマップ機能も搭載しています。腕時計は進化を続け、普段使いの時計として大きな発展をとげています。
3.日本の腕時計の歴史
♦1913年服部時計店が国産初の腕時計「ローレル」を発売!
日本において、懐中時計が工場生産されたのは明治27年(1894年)でした。明治後期になると時計工場の数は20にもなり、腕時計も大正の後期から製造するようになっていきます。
日本では1913年、服部時計店が国内製造の腕時計「ローレル」を初めて発売していますが、その駆動部分は懐中時計と同じものであり、日本の時計の技術水準は第二次世界大戦後まで高いものとは言えませんでした。
昭和に入ると第二次大戦の戦災による設備能力の喪失や損傷によって生産能力は著しく落ちてしまいます。それでも残っていた資材や設備を活用して生産をしようとしましたが、軍需生産をしていた時の設備の酷使、材料の質の低下や労働問題もあってかなり苦しい状況でした。
♦朝鮮動乱による特需景気で復活!
昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が起こります。この動乱により、日本の時計産業は持ち直します。国内は特需に沸きました。
この特需景気の風を受けて、高性能の精密機械をスイスから購入。最新の精密機械によって、品質の良い時計を生産できるようになりました。また、この朝鮮戦争によって内需が立ち直り、活性化した国内需要に後押しされて時計産業も復興の糸口が見えはじめたのでした。そして昭和34年(1959年)以降は、この内需が拡がるに従って、急成長をとげることになりました。
♦腕時計の高精度化と生産の合理化
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1955年には国産の腕時計で初の自動巻腕時計「セイコーオートマチック」が登場します。
また、1956年にはセイコーから「マーベル」が発売、1960年にはシチズンから「ホーマー」が発売されました。
これらの製品は、高精度と自動生産を両立させるために構造を合理化したりや部品を大型にしたりすることが試みられていました。ここに精度の高い国産時計が登場することになったのです。
♦1964年東京オリンピックにてセイコーが公式計時機器として採用される!
昭和39年(1964年)には、一つのエポックがありました。それは東京オリンピックがこの年が開催され、公式計時機器として他社との競争があったものの「セイコー」が採用されたことです。
「セイコー」は電子計時を採用していましたが、オリンピック開催中初めて計時に関してのトラブルは1つもありませんでした。これを契機に日本製腕時計がクローズアップされ、世界的にも注目を集めることになりました。ブランドとしての知名度も一挙に上がり、輸出増大の大きなキッカケとなりました。
こうして昭和40年代には、日本の時計産業は、日本を代表する輸出産業の一つとなりました。
♦1969年服部時計店世界初のクォーツ式腕時計「アストロン」を商品化!
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このような動きのなかで、1969年12月にはセイコーがクォーツ式腕時計「アストロン」を発表しました。
これは世界初のクォーツ式腕時計で、誤差は一日に±0.2秒と精巧なものでしでした。
機械技術と電子技術この2つが合わさることによって腕時計の性能や製造技術はは急速に進化しました。日本の時計メーカーはこの二つの先端技術を上手く取り込むことが早かったことから日本は有数の時計製造量を持つ国になりました。
昭和48年(1973年)には機械部分が全くなく、すべて電子で動く液晶デジタルウオッチも、最初に日本で商品化されました。この間にドル・ショックなどの障害はありましたが、それを乗り越え日本の腕時計メーカーは現在に至ります。
まとめ
世界と日本の腕時計の長い歴史を見てきました。1879年に腕時計の量産が世界で初めて始まってから百数十年。その間、腕時計の技術革新は目を見張るばかりです。今では軽くて使いやすいもの、防水のもの、ストップウォッチ機能つき、永久カレンダーつきなどさまざまな機能が搭載されているものとかでどれを選んだらいいのか迷うほどです。
もはや、腕時計は時計の枠組を超えて生活のパートナーにさえなってしまっているようです。あなたの目的にあった製品を選んで、ライフワークに活用して下さいね。