胸元を飾るネックレスやペンダントですが、あなたはどのように活用していますか。
ネックレスはアクセサリーのなかでも一番長い歴史を持つといわれ、その出発はやはり魔よけとか呪術的な意味にあるようです。そんな意味を知っていくと、プレゼントなども自信をもって贈れますよね。ネックレス・ペンダントの歴史と意味をひもといてみましょう。
1.ネックレスとは?
ネックレスとは、本来は「ネックレイス」。すなわち「首に巻くひも」を意味していると言われます。ペンダントもネックレスの一部という説もありますが、一般的には首に掛ける部分がそのまま装飾になるものをネックレス、先端にペンダントトップという装飾品が付けられているものをペンダントと言っています。
ネックレスの素材としては真珠や金属、天然石、ガラス玉などですが、広義にはひもで編んだもの、皮で編んだもの、あるいは樹脂でつくられたフェイク玉を連結したものもネックレスと呼ばれています。また、肩凝り解消用の磁器ネックレスや開運用のパワーストーンなどもネックレスの部類です。
♦ペンダントトップとも呼ばれる。
ペンダントもラテン語から発祥しフランス語から英語に転化され、最終的に現代英語の「pendant」となったのではないかと言われています。首にぶらさげるようにして用いる装身具や、お守りなどをぶら下げたものなどをいいます。
一般には、先についているペンダントトップが取り外し可能なものをネックレス、取りはずせないものをペンダントと区別していますが、その違いは微妙なところです。便宜的にペンダントトップが大きくて印象が強いものを「ペンダント」。チェーンや革ひもだけのものや、ペンダントトップが簡素なものを「ネックレス」と分類してよさそうです。
2.ネックレスの歴史
ここではペンダントはネックレスに含まれるということで話を進めていくわけですが、これには理由があります。というのは、出土するネックレスには、ペンダントトップがひもにぶら下がっているだけのものも多いからです。ネックレスの歴史は古く、40,000年前の石器時代には誕生していたと言われます。当時はもっぱら貝などを装飾品として用いてましたが、後に石や獣の骨や歯などに置き換わってゆきます。そこで出土したネックレスには、貝殻や動物の牙や骨、角などを植物で作った縄のようなものに通していった原初的なものでした。これがネックレスの始まりだと言われています。
♦ローマ時代には貴金属と宝石をはめ込んだネックレスを着けていた!
金属が発見されると、金、銀などの貴金属が多用されるようになっていきました。古代エジプト時代には、王族たちが宝石のついたネックレスを身につけていましたし、ローマ時代には、貴族の女性たちが金のフレームに色鮮やかな宝石をはめ込んだネックレスで身を飾っていました。
古代の人がネックレスをつける意味は「呪術的・魔よけ的」な目的や、敵や病気から身を守ったり、豊作を願ったりする道具として身に着けていたのです。また、身分を証明するための免許証みたいなものとしても使われたりしました。
♦18世紀にはジュエリーとしてヨーロッパ中拡拡散!
時代が下るに従って、その役割は魔よけから装飾的意味合いに変わります。18世紀頃、フランスの宝石研磨やカット技術が急速に発達したことによって、ネックレスはジュエリーとしてヨーロッパ中に広まっていきます。その頃のヨーロッパの上流階級の服装は胸元が大きく開いたドレスが多かったので、ネックレスなどがもてはやされました。時の権力者が富と権力の象徴として身につけていました。それらはごく一部の階層だけでしたが、産業革命により、ネックレスも量産されるようになると一般に波及してくるようになりました。
3.日本の首飾り(ネックレス)の歴史
首飾りは縄文時代から用いられたと見られており、勾玉を連ねた首飾りのほか、動物の牙や骨、また石や貝などが素材として用いられています。多数の形状の装身具が各地の墳墓から出土されています。
縄文時代の遺跡から出土している動物の牙やヒスイを用いた装飾品の用途は正確には判っていませんが、魔よけや呪術的な意味合いが強いのでしょう。特に、動物の牙を身に着ける行為に関しては狩猟の成功を祈願したりしたのではないかと言われています。
♦古墳時代には「ひすい」「メノウ」「水晶」「碧玉」などの首飾りが出土
弥生時代に入ると、管状になった玉などを数珠のようにして繋げたものが多く出土するようになります。古墳時代には権力者のシンボルとして祭祀などのためか、玉をつないだネックレスを一重巻きにしたり二重巻きにして装着した埴輪などが出土しています。
古墳時代には「ひすい」「メノウ」「水晶」「碧玉(へきぎょく)」などの宝石を使った首飾りを、男女を問わず身につけていたことが、埴輪によって証明されています。古墳から発見された宝石の形が勾玉だったことや、聖徳太子も身につけていたとされる勾玉は、権力の象徴として使われたり、お守りの代わりとして首輪として胸に飾ったり、ペンダントとして吊るしたりしたのでしょう。
♦勾玉(まがたま)の流行
勾玉は、古墳で発見された宝石が勾玉の形をしていたことや、聖徳太子が身に着けていたとされていることから権力の象徴として使われていたことが推測できます。
ヒスイは動物の犬歯を模した勾玉として加工されたものが多く、お守りの代わりとして首輪にして胸に飾ったりペンダントとして吊るしたりしたのでしょう。こうした勾玉の文化は弥生時代に至るまで広く見られ、古墳時代には全盛を迎えています。
8世紀頃の勾玉については、主に呪具として日本で加工され、北海道から朝鮮半島など様々な地域で出土しているので、装飾品が交易品となっていたことを証明しているといえるでしょう。
♦奈良~明治時代に至るまでの約1100年の空白
しかし、奈良時代以は姿を消し、降明治時代なるまでの約1100年間、こうした装身具は見られません。
奈良時代や飛鳥時代には、えりの詰まった服装が主流になったことから首飾りを身につけないようになりました。時代は下り、明治時代になってやっと海外からの文化移入という形でまた復活を果たした装飾品でしたが、実際には昭和に入り、戦後の経済成長によってようやくネックレスやペンダントが、私たち現代人のおしゃれアイテムとなり今日に至っています。
まとめ
ネックレスの歴史は古く、40,000年前の石器時代には誕生していました。その時は貝などを使用して首にかけていました。それが時代が下がるに従って、石や獣の骨や歯などに置き換わり、エジプト、ローマ時代には宝石なども身に付けるようになっていきました。
ところが日本において縄文・弥生時代には、ひすいの勾玉などの出土があったものの、奈良時代以降、明治に至るまでの約1100年間、装身具は忽然と姿を消してしまっている不思議! 私達が日頃つけているネックレスやペンダントは、ようやく昭和の時代に至って普及してきたのです。ネックレスは私達日本人には、まだ異次元のアクサリーかもしれませんね。