ストールとマフラーの違いや歴史 ルーツは聖職者の肩掛けとアゴをおおう女性の白い布!

ストールもマフラーも防寒用とか温度調節のアイテムですが、今やその実用性もさることながら、ファッションのアクセントとしてアクセサリー感覚で受け入れられていますね。そんなマフラーとストールは、どのようにして生まれてきたのでしょうか。そのルーツと歴史を探ってみましょう。

1. マフラーとストールの違いとは?

♦マフラーとは?

マフラーは一般的には厚手のウールでつくられた長方形の巻き物で、首に巻いたりえりや肩に掛けたりするものを指します。えり巻きとも言われます。

主な目的は防寒ですが、最近では様々な素材が出てきて、夏でもコットンでできたマフラーを紫外線対策として使うこともあり、その活用シーンは幅を広げています。家に入ったら取らなくては取らなくてはならないので面倒という声る聞えてきますが、首周りや胸元を温かくしてくれるので、冬の健康維持のためには大切なアイテムでしょう。

♦ストールとは?

一方、ストールは英語で「肩掛け」を意味します。ストールは生地自体が薄手です。ショールも同様に肩にかけたりして着用しますが、ショールは四角形であるのに対してストールは長方形で帯状の形をしていますし、生地も厚手です。

ストールは、フォーマルな場でのアイテムとしてイブニングドレスなどと一緒に着用もされます。首に巻くこともありますが、肩掛けとして認識されています。

ただ、最近は男性がこのストールをくしゃくしゃにして、首に巻きつけている独特のファッションにお目にかかることもあります。ストールを、ファッションアイテムとして使用しているのですね。

ストールは、もちろん防寒用に使用されることはありますが、春や秋、ちょっと肌寒い時の温度調節にも使えますし、素材も選べば夏は冷房対策にも使用できます。生地もカシミヤとかウール素材から、レーヨン、コットン、リネンなどいろいろ用意されていますから、四季折々1年中使用できるのが重宝です。それに、軽くかさはらないので携帯に便利です。ちょこっと、カバンなどに入れておけるのもメリットでしょう。

2.マフラーの歴史とは

マフラーの起源については諸説ありますが、15世紀頃といわれています。当時のヨーロッパの女性の中には顔の下の部分を四角の白い布で覆っていた人たちがおり、これをマフラーと呼んでいたのが起源という説が一般的です。

時代は下りフランス革命の時代になると、アゴから首にかけて黒い布を巻くといったスタイルになり、現代の形式に近いものになりました。また、この時代からカシミヤのえり巻きやショールが防寒具として広まり始めました。そして、19世紀になると一般の人にも普及し始めました。

もともとは女性の顔を覆うための布だったマフラーですが、昔は兵士の「戦場における目印」になったり、時には「包帯」のかわりに使われたりと様々な用途で活用されていました。

3.ストールの歴史とは

♦僧侶の肩掛けだったという説と古代ローマの「ストラ」だったという2説

「ストール」という言葉には、一説には衣服の「長着」という意味があります。

古代ローマで既婚の女性が着ていた「ストラ」という肩から足まで体のほとんどを覆う上着がストールの由来であるというのです。

もう一説ですが、中世におけるカトリック聖職者が身に着けていた肩からひざの下まで垂らす肩掛けも「ストラ」と呼んでおり、これが変化したものと言われています。

また、古代ローマのストラが次第に中世の聖職者のストラになってこれがストールになったという両方の説を含んだ考え方もあります。

♦貴族の女性が聖職者の肩掛けを真似正装に

16世紀になると、荘厳な聖職者だけが着用していた肩掛に対しての憧れたためか、貴族階級の女性たちが聖職者の肩掛けをヒントにファッションとして取り入れてしまった記録があります。貴婦人たちは、権威や富裕の象徴として毛皮や光沢のある絹のストールをドレスなどの上からまとうようになったと言われ、それが定着してその名残は現代まで続いています。

今ではこのスタイルが正装となり、女性の正装は「イブニングドレスの上にストールを腕にからませる装い」となっています。

4.日本におけるマフラーの歴史とは?

日本に「マフラー」が伝わったはいつなのか・・・正確な記録はありません。呼び方については、日本では長い間マフラーのことを「エリ巻き」と呼んでいました。

このエリ巻きという言葉から古い文献をたどると、一休和尚が出てきます。「あの一休さんが?」と意外なに思われる人もいるかもしれませんが、1461年に「一休和尚」が詠んだ歌の中に「えり巻」という言葉が登場します。

このことから1461年にはすでに防寒具として「えり巻き」が普及していたことがうかがえますね。

ですがこの「えり巻き」、現代のものとはちょっと違います。確かに、この時代に「えり巻き」という名の防寒具はありましたが、我々が思い浮かべるような首周りのみ温める「えり巻き」は発達しませんでした。というのも、日本では首の保護には頭巾や手ぬぐいと言った物が用いられていたからです。

現在使用されているストールなどについては、明治時代に入り西洋諸国との交流が本格化してから鹿鳴館時代の経緯のなかで肩掛けと呼ばれた「ショール」などが紹介されていきます。

「マフラー」についてですが、初めて日本で発売されたのは明治の初期。1873年に毛皮のえり巻きが販売されました。

5.マフラーとストールの巻き方コーデ

こうした歴史を経て、私達はマフラーやストールを便利アイテムとして使用しているわけです。

防寒や温度調節の手段としてマフラーやストールを活用することはもちろんですが、巻くことでファッションのアクセントにもなります。特に、ストールは薄手ですから、いろいろな巻き方ができます。普通にショールのように使うことはもちろん、エディター巻き、くしゃくしゃ巻き、アフガン巻きなどが定番です。マフラーにもいろいろ巻き方があって肩かけ巻き、ドーナツ巻き、ループ巻きなどの演出も可能です。

まとめ

マフラーとストールの発祥と歴史をざっとみてきました。ストールの起源は、聖職者の肩掛けであったということ、マフラーの起源は15世紀頃ヨーロッパで女性が顔を覆った白い布からきているということでした。

今では、マフラーもストールも私達の生活のなかで欠くことができないアイテムになっています。温かく小顔効果も期待でき、ファッションのアクセントにもなりるマフラーやストール。柄物、無地といろいろそろえるとコーデの幅も広がるでしょう。

カフスボタンは和製語!鎖で繋いだボタンがカフリンクスのルーツ!

カフスボタンは、スーツを着たときにそのセンスをアピールできるのが魅力な男性用アイテムです。ところが、この「カフスボタン」と言う言葉は、和製語で日本でのみ通用する言葉で、欧米ではカフリンクスと言われています。

この名前の由来は英語でシャツの袖口のことを「Cuff」(カフ)と呼び、シャツには2つ袖口があるため複数形になり「Cuffs」(カフス)。その袖口をつなぐという意味でりンクするから、cufflinks(カフリンクス)という名称になります。そのカフリングはいつ頃からあるのでしょうか。その歴史と使い方などを紹介しましょう。

1.カフリンクスとは?

カフリンクスとは左右対で、ドレスシャツなどの袖口を留めるための装身具。カフリンクの形態は、鎖でつないだチェーンタイプのもの、バーでつなぐもの、そして留め金を回して留めるタイプのものなどがあります。

素材としては真鍮やシルバーやゴールドなどの金属素材ストーンやガラス、クリスタルなど、また布製のものなどいろいろあります。アイテムの雰囲気も、ドレッシーで高級感あふれるものもあれば、ポップで遊び心たっぷりの楽しいものや、シンプルでシックなものなど様々です。

2.カフリンクスの歴史

カフリンクスの歴史についての詳細は、現在よく分かっていません。現在通説となっている発祥の地はフランス。時期は17世紀。当時は貴族達が、リボンなどを使って袖口を留めていました。

たまたまどこかの貴族の伊達男が遊びとかおしゃれのために、リボンやレースのかわりに金や銀のボタンを金属のクサリでつないだものを使うようになったのが、カフリンクスの誕生秘話です。こんな何気ない出来事から、カフリンクスの歴史が始まり定着していったのですね。

実はカフリンクスと組み合わされるのが最も多い袖形は、フレンチ袖でした。というのも当時、袖とエリは取り外せるようになっていましたが、フレンチ袖は二重になっていて固く厚いために、どうしてもカフリンクを着用しなければならない事情があったのです。

こうした背景もあって、主にフランスの上流階級の間でカフリンクスは広まり、上流紳士たちは華やかなシーンにカフリンクスをつけることがステータスとなり、少しづつブームが拡がっていきました。はじめはブルジョアや貴族などの上流階級のファッションでしたが、歴史が下るにしたがってカフリンクスは広い層へと浸透していきました。

特にタキシードなどの正装服を着用した時に、欠かせない装飾アイテムとなったのです。19世紀になり産業革命によって量産体制が整った後は、一般市民にも購入できるものになりました。

しかし、現在主流となっているスウィヴル式と呼ばれるバッキング部を倒して袖口に着けるカフリンクスは、1930年以降に発案されたものです。

3.カフリンクスの装着できるシャツ

カフリンクスでシャツを留めるためには、袖の両端にボタンホールが開いていなければなりません。カフス(シャツの袖口)は片方に付けられたボタンで留めるシングルカフスでは装着することができません。

両端にボタンホールが開いたダブルカフスならばカフリンクスを着けることができます。

そしてもうひとつ、コンバーチブルカフスと呼ばれるタイプのシャツがあります。これには通常のボタンとボタンホールに加えて、ボタンの横にボタンホールが開けてあります。これはボタンでもカフリンクスのどちらかでも使用して袖口を留めることができるタイプです。


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ダブルカフスはシャツの袖口を折り返して使う袖口が二重になったシャツです。

昔のシャツはえりとカフスを取り外しできるものが基本で、えりとカフスは固いものでしたが、時代の流れで、ソフト・カラーへと変化していったため、柔らかくなったシャツに、カフスを二重に折り曲げることで重厚感を持たせるうにデザインされたのが、ダブル・カフスの始まりでした。これがフランスで作られていたため、フランスカラーとも呼ばれているのです。こうした理由でフランスでカフリンクスが流行したといえるのです。

ボタンが付いているところに、ボタンホールがないシングルカフスには、カフリンクスは装着できないことになります。

3.カフリンクスの使い方や注意点!

昼間における礼装ではシロチョウガイや真珠といった白色、夜にはクロチョウガイやオニキスといった黒色を着けます。弔事では付けないことが原則です。付ける場合は黒のものを装着することです。

また、カフリンクスを付けたときは、派手なネクタイピンと合わせないように注意します。せっかくのオシャレな雰囲気が損なわれる可能性があります。カフリンクスには時計をきちんと合わせるとバランスがとれます。カフスをしたらボタンは内側に隠すほうがすっきり粋に見えます。気をつけてほしいのが袖口のサイズです。大きすぎても小さすぎてもオシャレにみえないので、適切なサイズを選びましょう。

まとめ

カフリンクスは17世紀まで遡り、初めはゴールドやシルバーのボタンを鎖で繋いでカフリンクスにしていました。これがカフスリンクスの始まりと言われています。産業革命の量産で、誰でもつけられる価格になりました。

袖は人の目に触れやすい場所なので、小さなカフリンクスの存在感は想像以上にあります。

アンクレットの歴史と名前の由来 効果的に生かすための色は?

魔よけの意味も秘めている!古代エジプト時期に発祥したアンクレットロマン!

アンクレットの歴史は深く呪術的意味もあると言われますが、あなたはアンクレットについてどれくらい知識があるでしょうか。現在はおしゃれ感覚で身に着けている人が多いでしょうが、ミサンガ同様お守りとして左足に着ける人も結構いるようですね。

右と左につけると意味も違ってきてしまうので要注意! そこで、アンクレットの発祥や歴史、その意味するものなど紹介しましょう。

1.アンクレットとは?

アンクルとは、「足首」の意味。従って「アンクレット」は、足首に装着する足輪といっていいのかもしれませんね。装着方法は引き輪で装着するもの、ゴム素材で伸縮性があるもの、また単なるひもを結ぶだけとかいろいろあります。アンクレットは足に巻くミサンガのようなもので、その趣旨としては呪術的で多分に魔よけ的な意味合いが濃いアイテムでもあります。

アンクレットの素材は幅広く、ミサンガ同様の蝋引きひもを使用することもありますし、金属、ガラス、石、皮などが利用されます。天然石にはパワーストーンも多くお守り的パワーが強いものも多いですから、古代の人々は、おそらくそういうことも含めてアンクルを信仰していたのでしょう。

2.アンクレットの歴史

アンクレットの歴史は古く、古代エジプト時代にまでさかのぼります。というのも、アンクレットを着けた姿がエジプトで壁画や彫像に表されているからです。こうした時代を考えると、紀元前5000~3100年からの長い歴史があるといえそうです。

♦エジプトではどんな階層の人でもアンクレットを身に着けていた!

古代エジプトで女性がアンクレットを身に着けていたことは、壁画や彫像などに刻まれているので分かっています。その素材は金属で、裕福な層とか王族などは金、一般階級の人は銀や鉄製などをそれぞれ使用していました。

多くの階層が素材の違いはあっても、足元にアンクレットを着けていたことは、意味があることだったのです。紀元前2494年頃から2345年頃の壁画にも、アンクレットを身に着けた踊り子の姿が刻まれています。

♦魔よけ的な意味のアンクレット!

アンクレットが、エジプトでも必ず身につけられる程の必需品だったかといえば、アンクレットには古代から悪いものが体の中に入ってくるのを防ぐという目的があったからです。昔は病気に対し無防備だったため、病気を非常に恐れていました。病気は外から中に入ってくると信じられていたため、アンクレットは特に足元からやってくる悪いものを取り除く「お守り」的意味合いがあったのです。

特に足元は地面に近いため、そこから病魔が入ってくると信じられていたため、アンクレットは「魔除け」の意味で常用されていたのだと考えられます。

♦奴隷の足輪の意味は?

もう1つアンクレットには、重要な意味があります。それは「奴隷の足首にする輪」のことです。手錠ならぬ足錠です。また、女性を支配し、家に置いておく「足かせ」の意味でつけられた時代もありました。奴隷に鉄環をつけるのは、身体的な自由を奪う意味もありましたが、「所有権を証明する」目的もあったのです。足首に着けれた鉄環の形により、どこの家の奴隷なのか分かるようになっていたということなのです。

♦東洋や中近東では売春婦にアンクレットをつけた!

アジアでは、16世紀まで男女を問わず売春に関わることを示すためアンクレットを着けていたという歴史もあります。16世紀にイスラム教が広まると、トルコの女性は女性らしい服装をすると身持ちが悪いと見なされ、アンクレットは売春に関わる女性の象徴とされました。

アンクレットは、香料や金銀宝石などと同様に、エロティックさを演出する手段とされました。

インドの女性は、歴史的に年齢を問わずサリーとともにトー・リング付きのアンクレットを裸足に着けていました。トー・リング付きのアンクレットというのは、親指とアンクレットをチェーンでつないだものです。インドでは、現代でも伝統的な婚礼衣装・サリーに欠かせない装飾品としてアンクレットをする習慣が見られます。

♦20世紀以降のアンクレットはファッションジュエリーのはしり!

20世紀に入りポップカルチャーが広まると、ロック歌手などがアンクレットをしたり、ミサンガの流行と供に若い男女の間で革製のアンクレットを着けることが流行りました。

1930年代から20世紀後半には、素足好きなアメリカ女性の間でアンクレットが女性の装身具として注目され、カジュアルからフォーマルなデザインの品が作られました。フォーマルなアンクレットでは銀、金やビーズ製などが作られました。

3. つける足により意味が違う!

アクセサリーは身に付ける場所により意味が異なります。アンクレットにも左右の足にそれぞれ意味があります。

♦アンクレットを右足首に着ける意味は?

独身の人がつけます。「恋人募集中」であったり、彼氏や彼女がいない人が右足につけます。というのも、右足にアンクレットを付けのは「自分の望む力をより高める」という意味が含まれているからです。ただし、注意が必要なのは既婚中の人や恋人や婚約者がいる人が右足に着けると、浮気相手募集中のいう意味になります。そういうことを知らないで無意識に右足にアンクレットを付けていると、恋人といさかいになりかねませんから要注意です。

♦アンクレットを左の足首に着ける意味?

歴史的に、奴隷たちは左足に足かせを付けられて逃げられないようにさせられていたと言われます。そのため、現代でもアンクレットを左足に付けている場合は既婚者や婚約者がいたり、恋人がいるということを表わしています。つまり、左足首に着けていると、パートナーがいますという意味合いになります。

左足にアンクレットを付けている場合は、お守りの意味合いもあり、お守り代わりとしてアンクレットを身に着ける人も少なくはありません。ミサンガはお守りとしてのアクセサリーとして有名ですが、アンクレットにもそういう意味があります。恋人があなたにアンクレットをプレゼントしてくれたら、あなたを危険から遠ざけたいという占い的な意味があるのかもしれませんよ。

4. アンクレットを効果的に生かす色!

♦白のアンクレット

白のアンクレットには、健康や復興を祈る意味合いがあります。健康や人々や家族の平和を願う人には、白のアンクレットがふさわしいでしょう。

♦緑色のアンクレット

緑色のアンクレットには、リラックス効果が期待できます。いやされたいと思う人は緑色のアンクレットを身につけましょう。

♦オレンジ色のアンクレット

オレンジ色は暖かく、人間関係を良くできるというジンクスがあります。最近人間関係で悩んだり疲れている場合には、一度オレンジ色のアンクレットを付けてみましょう。いい出会いがあるかもしれませんよ。

♦青い色のアンクレット

青という色には、仕事運を上昇させてくれるという意味があります。勝負の時にスーツから見えないようにアンクレットを付けているとお守りになって気持ちが落ち着くでしょう。緊張する場面での緊張ふさぎをしてくれるでしょう。

まとめ

アンクレットの発祥は紀元前の古代エジプトまでさかのぼれます。古代エジプトの壁画にアンクレットの絵が残されていました。同時に奴隷拘束などの意味もあり、左足にアンクレットを取り付けていたと言われます。

左にアンクレットをつけるのが既婚者となっているのは、アンクレットの由来と意味を同じにしているのかもしれません。ただ、アンクレットには「自分の望む力をより高める」という意味もあります。古代よりお守り的な意味もあるアンクレット!もし何か叶えたいものがある人は、左足にアンクレットをつけてみてはいかがでしょうか。

 

ピアス・イヤリングの歴史と日本・ピアスのルーツは魔よけ!歴史は古代ギリシャローマ時代にまで遡る!

落とす心配はいらないしスポーツなどでもつけられ種類も豊富ということで、現在はピアスの人気がイヤリングを上回っていると言われます。歴史的にもピアスのルーツは古く、ギリシャ・ローマ時代にまで遡れるほどです。その点イヤリングは、17世紀にねじ式やクリップ式金具の発明によって作られたので、比較的新しいアイテムです。このピアスとイヤリングの歴史について考えましょう。

1.イヤリング・ピアスとは?

♦ピアスとは?

ピアスは耳たぶに針が通るぐらいの穴をあけ、針を突き通して留める耳飾りです。釣り針形に曲げた針を穴にひっかけて使用するものと、穴に通した針を耳たぶの裏で留め具で留めるものとがあります。ピアスの一般的素材は金、銀、プラチナ、宝石、ビーズなどです。

♦イヤリングとは?

耳に取り付けて耳元を飾る装身具のことをいいます。もともと耳とリングで耳に付ける輪ということ意味ですから、ピアスに近いものでした。現在イヤリングと呼ばれているものはクリップによって耳に引っ掛けるクリップ式とねじ留め式、また磁石で装着するマグネット式などがあります。

耳飾りの形は、大きく分けると3種類にあります。耳にぴったりと固定する形のものはボタンイヤリング、ネジやクリップなどを用いて耳たぶに固定します。 また、輪の形をしたものをフープイヤリング。ビーズを垂らしたり細いチェーンを垂らしたりするイヤリングはドロップ・イヤリングと呼ばれています。

イヤリングの素材は多様で、金属、プラスチック、ガラス、貴石、ビーズ、木などがあります。

2. ピアスの歴史

♦ピアスは悪魔除けにつけられた!

耳に穴を空ける「ピアス」は、数千年もの歴史があると言われています。「旧約聖書」や「ギリシア神話」にもイヤリングの記述が見られますし、古代エジプトでは壁画の中にもピアスが見られます。

鉄製や、金銀細工の垂れ下がりタイプのものも、発掘品の中にみられます。元々ピアスの発祥は、邪悪な存在から身を守るためのものとして使われてきました。その根拠は国によって違いますが、古代では、悪魔は穴が開いている所から進入すると恐れられていました。耳は穴が開いていますから、そこを防御しなければなりません。悪魔は光物に弱いと言われることから、金属製品を身体につけていれば悪魔が近づきにくいと考えたようでした。

♦ペルシア時代の壁画には兵士たちがピアスをしている姿が刻まれている!

古代ギリシアでも魔よけとして用いましたが、その素材は宝石やガラス製のペンダント型のものもありました。男女問わず装着し、片耳にだけつけることも多く見られました。

古代ペルシアの遺跡からは、ピアスをした男性の遺骨が発見されていますし、現存するペルシア時代の壁画には男性兵士たちが、耳元にピアスをしている姿が刻まれています。古代ローマでは、宝石の入ったペンダント型が流行りました。ビザンチンでも、おおむね魔よけのピアスをつける習慣が受け継がれていました。

実用的な目的もありました。兵士たちは戦死した時の身元を確認するためピアスをつけていましたし、船乗りたちは万一海難事故などで命を落とした場合の弔いの費用にしてもらおうとピアスをつける風習もあったと言われています。

インドでは宗教的な儀式の1つとしてピアスの穴を開けるという風習があり、現在でも5歳になる少年にピアス穴を開けることがあるようです。

♦17世紀留め式イヤリングの地位がビアスにとって替わる!

中世に入るとベールをかぶる習慣が普及し、ピアスは衰退しました。16世紀バロック時代に復活し男性にも広く愛好されたものの、17世紀になるとクリップ式やネジ留め式のものが考案されたため、ピアスはイヤリングにとって替わられることになります。耳を傷つけることがないイヤリングの方が手軽なので、一般女性がそちらの方へ流れていきました。

ピアス人気が復活するには、1960年代ヒッピーの登場までかかります。1980年代になると、パンクロックアーティストがこぞってピアスをしていたことから、男性の間でもピアスをするという文化が確立していきました。

3.イヤリングの歴史

イヤリングの歴史はピアスよりずっと後になり、17世紀にねじ留め式やクリップ式のものが登場してからとなります。耳に穴をあけないため手軽につけることができるので、アメリカの中産階級の女性に愛用され、一時はイヤリングといえばネジ式やバネ式のものが主流でした。

18世紀は真珠のイヤリングなども人気を博し、18世紀末にはダイヤモンドに加えてサファイアやエメラルド、19世紀初頭にはカメオなども登場しました。

4.日本のイヤリング・ピアスの歴史

日本において、耳飾り(ピアス)が登場するのは縄文時代です。石を研磨して、その端に切り込みを入れた作りになっていて、環の端を耳たぶにあけた穴に入れて身に着けていました。

材質は縄文中期は骨製のもの、縄文後期には土製の耳飾りが中心となっています。

複雑な透かしす彫りで飾られたものをつけている土偶も出土しています。これを見ていると、日本にも小児期に耳たぶに穴があける儀礼の存在はあったと推測することができます。

弥生時代に入るとピアスと思われるものは、確認できなくなります。その後、古墳時代中期には、朝鮮半島から入ってきたと思われる垂(たれ)飾りを鎖でつけたものが出土しています。埴輪の耳にも、このタイプの耳飾りを装着したものが出土しています。ところが、奈良時代以後は耳飾りをつけている出土は、まったく見当たらなくなります。

アクセサリー全般に言えることですが、日本においては装身具の出土は近代になるまで、まったく見られないのが現状です。

明治期、洋装とともにピアスやイヤリングも外国から紹介されたでしょうが、普及には程遠いものでした。ピアスやイヤリングが私達の生活のなかに溶け込むのは、戦後になってからになります。

戦後、洋装の普及とともに、高度経済成長期からバブル時代がやってきて、豪華なイヤリングが市販されました。1990年代からは、イヤリングからピアスの時代になってきます。地金部分も少ないので安価で、活動しても紛失しにくいところが人気の秘訣なのでしょう。

まとめ

ピアスの歴史は古く、旧約聖書」や「ギリシア神話」にもイヤリングの記述がありましたし、ギリシャ・ローマ時代にまでさかのぼれるのは驚きですね。

が、その意図は悪魔よけでした。ところが1900年代初頭、ネジやクリップ式のイヤリングが登場したことにより、ピアス人気は凋落してしまいます。

ピアスが再度見直されたのは1960年代のヒッピーや80年代のパンクロッカーたちのおかげでした。

イヤリングは穴を開けなくて装着できるのがメリット!ただ欠点は、バネ式で耳が痛くなることと紛失しやすいこと。一方、ピアスは小さいので軽く価格も安価で種類も多く、何より落としにくいことがメリット。ただ、穴あけを不衛生な環境で行うと、腫れたり跡が残ったりするケースもあるのでご注意を!

顔の印象を華やかにするピアスとイヤリング!あなたに合うタイプを選んで、ピアス・イヤリングライフを楽しんでくださいね。

ネックレス・ペンダントの歴史と日本 40,000年前の石器時代に誕生していたネックレス・ペンダント!

胸元を飾るネックレスやペンダントですが、あなたはどのように活用していますか。

ネックレスはアクセサリーのなかでも一番長い歴史を持つといわれ、その出発はやはり魔よけとか呪術的な意味にあるようです。そんな意味を知っていくと、プレゼントなども自信をもって贈れますよね。ネックレス・ペンダントの歴史と意味をひもといてみましょう。

1.ネックレスとは?

ネックレスとは、本来は「ネックレイス」。すなわち「首に巻くひも」を意味していると言われます。ペンダントもネックレスの一部という説もありますが、一般的には首に掛ける部分がそのまま装飾になるものをネックレス、先端にペンダントトップという装飾品が付けられているものをペンダントと言っています。

ネックレスの素材としては真珠や金属、天然石、ガラス玉などですが、広義にはひもで編んだもの、皮で編んだもの、あるいは樹脂でつくられたフェイク玉を連結したものもネックレスと呼ばれています。また、肩凝り解消用の磁器ネックレスや開運用のパワーストーンなどもネックレスの部類です。

♦ペンダントトップとも呼ばれる。

ペンダントもラテン語から発祥しフランス語から英語に転化され、最終的に現代英語の「pendant」となったのではないかと言われています。首にぶらさげるようにして用いる装身具や、お守りなどをぶら下げたものなどをいいます。

一般には、先についているペンダントトップが取り外し可能なものをネックレス、取りはずせないものをペンダントと区別していますが、その違いは微妙なところです。便宜的にペンダントトップが大きくて印象が強いものを「ペンダント」。チェーンや革ひもだけのものや、ペンダントトップが簡素なものを「ネックレス」と分類してよさそうです。

2.ネックレスの歴史

ここではペンダントはネックレスに含まれるということで話を進めていくわけですが、これには理由があります。というのは、出土するネックレスには、ペンダントトップがひもにぶら下がっているだけのものも多いからです。ネックレスの歴史は古く、40,000年前の石器時代には誕生していたと言われます。当時はもっぱら貝などを装飾品として用いてましたが、後に石や獣の骨や歯などに置き換わってゆきます。そこで出土したネックレスには、貝殻や動物の牙や骨、角などを植物で作った縄のようなものに通していった原初的なものでした。これがネックレスの始まりだと言われています。

♦ローマ時代には貴金属と宝石をはめ込んだネックレスを着けていた!

金属が発見されると、金、銀などの貴金属が多用されるようになっていきました。古代エジプト時代には、王族たちが宝石のついたネックレスを身につけていましたし、ローマ時代には、貴族の女性たちが金のフレームに色鮮やかな宝石をはめ込んだネックレスで身を飾っていました。

古代の人がネックレスをつける意味は「呪術的・魔よけ的」な目的や、敵や病気から身を守ったり、豊作を願ったりする道具として身に着けていたのです。また、身分を証明するための免許証みたいなものとしても使われたりしました。

♦18世紀にはジュエリーとしてヨーロッパ中拡拡散!

時代が下るに従って、その役割は魔よけから装飾的意味合いに変わります。18世紀頃、フランスの宝石研磨やカット技術が急速に発達したことによって、ネックレスはジュエリーとしてヨーロッパ中に広まっていきます。その頃のヨーロッパの上流階級の服装は胸元が大きく開いたドレスが多かったので、ネックレスなどがもてはやされました。時の権力者が富と権力の象徴として身につけていました。それらはごく一部の階層だけでしたが、産業革命により、ネックレスも量産されるようになると一般に波及してくるようになりました。

3.日本の首飾り(ネックレス)の歴史

首飾りは縄文時代から用いられたと見られており、勾玉を連ねた首飾りのほか、動物の牙や骨、また石や貝などが素材として用いられています。多数の形状の装身具が各地の墳墓から出土されています。

縄文時代の遺跡から出土している動物の牙やヒスイを用いた装飾品の用途は正確には判っていませんが、魔よけや呪術的な意味合いが強いのでしょう。特に、動物の牙を身に着ける行為に関しては狩猟の成功を祈願したりしたのではないかと言われています。

♦古墳時代には「ひすい」「メノウ」「水晶」「碧玉」などの首飾りが出土

弥生時代に入ると、管状になった玉などを数珠のようにして繋げたものが多く出土するようになります。古墳時代には権力者のシンボルとして祭祀などのためか、玉をつないだネックレスを一重巻きにしたり二重巻きにして装着した埴輪などが出土しています。

古墳時代には「ひすい」「メノウ」「水晶」「碧玉(へきぎょく)」などの宝石を使った首飾りを、男女を問わず身につけていたことが、埴輪によって証明されています。古墳から発見された宝石の形が勾玉だったことや、聖徳太子も身につけていたとされる勾玉は、権力の象徴として使われたり、お守りの代わりとして首輪として胸に飾ったり、ペンダントとして吊るしたりしたのでしょう。

♦勾玉(まがたま)の流行

勾玉は、古墳で発見された宝石が勾玉の形をしていたことや、聖徳太子が身に着けていたとされていることから権力の象徴として使われていたことが推測できます。

ヒスイは動物の犬歯を模した勾玉として加工されたものが多く、お守りの代わりとして首輪にして胸に飾ったりペンダントとして吊るしたりしたのでしょう。こうした勾玉の文化は弥生時代に至るまで広く見られ、古墳時代には全盛を迎えています。

8世紀頃の勾玉については、主に呪具として日本で加工され、北海道から朝鮮半島など様々な地域で出土しているので、装飾品が交易品となっていたことを証明しているといえるでしょう。

♦奈良~明治時代に至るまでの約1100年の空白

しかし、奈良時代以は姿を消し、降明治時代なるまでの約1100年間、こうした装身具は見られません。

奈良時代や飛鳥時代には、えりの詰まった服装が主流になったことから首飾りを身につけないようになりました。時代は下り、明治時代になってやっと海外からの文化移入という形でまた復活を果たした装飾品でしたが、実際には昭和に入り、戦後の経済成長によってようやくネックレスやペンダントが、私たち現代人のおしゃれアイテムとなり今日に至っています。

まとめ

ネックレスの歴史は古く、40,000年前の石器時代には誕生していました。その時は貝などを使用して首にかけていました。それが時代が下がるに従って、石や獣の骨や歯などに置き換わり、エジプト、ローマ時代には宝石なども身に付けるようになっていきました。

ところが日本において縄文・弥生時代には、ひすいの勾玉などの出土があったものの、奈良時代以降、明治に至るまでの約1100年間、装身具は忽然と姿を消してしまっている不思議! 私達が日頃つけているネックレスやペンダントは、ようやく昭和の時代に至って普及してきたのです。ネックレスは私達日本人には、まだ異次元のアクサリーかもしれませんね。